中山競馬場(千葉県)
1928(昭3)年〜

松戸競馬場から中山競馬場(中山村若宮)へと新たなスタートを切り
軌道に乗り始めた矢先

関東大震災の大津波で、完成したばかりの競馬場が壊滅的な打撃を受け

1927(昭2)年:中山村若宮より少し北東側の東葛飾郡葛飾村古作(現:船橋市古作)に
馬場が移され
翌、1928(昭3)年:現在の
中山競馬場にて移転後、最初のレースが行われる




<昭和6年春季・中山競馬倶楽部主催・勝馬投票券>


中山村(現:市川市へ編入)時代の”中山”の文字はそのまま残され
周辺の地形が起伏に富んだ地形であり
それを生かした障害コースも設けられ
中山大障害も誕生した

ちなみに現在も年の瀬に開催され続けられている中山大障害の第一回目は
大障害特別」というレース名で開催され
1934(昭9)年12月05日開催されたその大会では、稲葉幸夫騎手騎乗の牡6才馬のキンテンが勝利した
その後
農林省賞典障害」「中山農林省賞典障害」「中山農商省賞典障害」「農林省賞典障害
農林省賞典:中山大障害」「農林水産省賞典:中山大障害」「東京大障害」「中山大障害」と
レース名は変われど現在にもつながっている



1937(昭12)年:
中山競馬倶楽部日本競馬会中山競馬場と改められる



1942(昭17)年:競馬開催中にドーリットル隊による
日本本土初空襲に襲われる
1943(昭18)年:閣議決定で、
競馬開催の一時停止される
1944(昭19)年:
中山競馬場閉鎖陸軍に接収される
敷地は、陸軍軍医学校中山出張所(血清ワクチンの製造工場)
立川航空隊(軍需品集積所)、東部第5部隊駐留地、軍管轄の自耕農場などとして活用される


1947(昭22)年:
米軍から返還中山競馬場再開する


1954(昭29)年:
日本競馬会日本中央競馬会となり、競馬運営のシステムは現在に近い形となった



東葛飾郡葛飾村古作